将来について3
さて、ではどういう生活ができればいいか。
一番の理想みたいなのがあればそれを目指してみるのも一興かもしれない。
そうなんだよねー。でもそれが見当たらないから困っている。
自分が目指すべき理想やモデルがあれば、もう少しえらぶべき行動が定まると思うよ。
それはそうだ。もし就職をする!が結論になるならば、ブログやウーバーをメインにするよりはスキルアップに力を注ぐべきだろう。
逆にフリーでやっていくことがしたいならば、ブログやウーバー などをやっていく方がいいかもしれない。
他の選択肢はあるだろうか?今のところはこの2たくになってくるのかな?
つまり
①キャリアを優先した行動
②フリーでお金を得ることを優先した行動
大きく分けるとこの二択になってくるのかな?
まず①を選ぶ場合を検討するとしたら、俺は何をするべきだろう?
一番簡単なのは前職の仕事をすることだ。これは決して難しいことはではない。俺の望んでいる仕事にはならない可能性は高いが、幸い資格を持っている俺にとってはこれが一番簡単であり、導入の負担は少ないことになりそうだ。ただし勤務場所が理想の場所になりづらい可能性はあるか?
まぁ完璧ではないが、当初検討していた職場に入るよりは遥かにこちらの方がいいだろう。収入も高くなるだろうし。この仕事を一生懸命やってれば食いっぱぐれることだけは恐らくないだろうからね。
問題は大して心が躍らないことかな。それはもう仕方のないことだろうな。自分にとってその仕事がとてもやりたい仕事ではないからだ。ただまぁやり出してみればそれなりにできる仕事ではあるかもしれない。
しかし考えるだけでとても心は沈み込むね。やっぱりあんまやりたいとは思えない。もう少し楽な仕事がしたい。ならやっぱり副業でしっかり稼ぐことじゃない?
そうだ。楽な仕事をするために副業でしっかり稼げればそれだけでメインの仕事への負担がへる。楽な仕事を選択できるようになる。楽そうな仕事を選んで、とりあえずやっってみる、それで嫌だったらやめる。そんなことだってできるようになる。
自分で収入を得る方法が働く意外にある。それが一番重要なんだよ。俺はいざとなっても働かないで月20万円稼げるぞ、って確信が必要。それはウーバーでもいいし、他の副業でも構わない。もしくは他の仕事をアルバイトから初めて、楽しくなって就職できる未来もある。そう考えるとやっぱりフリーで生きる力を蓄えるべきだろうか。
仕事は気楽にやりたい。
そのために副業をできるようにする?少々逆説的というかもっと難しい選択をしているような感覚にも陥るけれどね。気楽に仕事をしたい。とにかくそれだけなんだ。
まとめ
仕事は気楽にやれるものが理想である。それがないなら副業でそれなりの収入を確保できれば本業に依存しないで済むかもしれない。もしくは本業で気楽にやれて楽しいものがあれば最高。それが一番理想か。そんなものありますかー?
将来について2
とりあえず前回の考察で行動するだけで少なからわずプラスになることがわかった。
では何をするべきか・何をしたいかを考えていければいい。
そうだぞー。リラックスして考えるのだ。アロマでもたくか。
イランイランとバニラが香るアロマをたく。
そして証明を落としてリラックス。あれ。切れていた豆電球の明かりが今更ついた。なぜ?
のんびりとアロマの香をかぐ。うーん。やっぱり意外と癒されますね。
アロマ・サウナ・キャンプ。癒されることはどんどんしていこう。人生はそのためにあるのだ。
そんな人生を過ごすためにも将来のことを考えていこう。
ほんの一年前までは別に俺は一人で死んで行けばいいとすら思っていたのだが(両親のことはともかく)、今はありがたいことに恋人がいる。
そしてその子のことは適当ではなく、今後とも付き合っていきたいと思っている。
こういう進展はポジティブなものであり、自分の人生に彩を与えてくれたありがたい出来事だと思う。
そのためにも今後の人生設計が大切になるってことだ。
彼女は別に専業主婦になりたいわけでもなく自分も働くことに全く違和感がなく、しかも子供はいらないと思ってくれているので、俺はそこまで大きなお金を稼ぐ必要があるわけではない。それは明るいニュースだ。それこそ手取り20万くらいあれば健全に暮らしていけるだけの収入は二人で得ることができるだろう。老後のことはともかく。
それなら極端な話、俺は派遣で働いてもいいくらいなんだよね。ただ派遣で働いているとさらに将来が行き詰まる感覚がしてくるよね。特に目的もなく派遣を続けるくらいならば大人しくどこかで就職するべきだろう。
いったんこのあたりで終わらしておこうか。
まとめ
彼女と暮らしていくことが今のところ正しい目標や行動。
収入はそれほど多い必要はないが、無意味にキャリアを積むことは不安である。
将来について
将来についてはいつも考えてしまう。
先行きがあまりにも不透明すぎると人間は不安になる。
将来をどうしよう。幸いにも実家にいるし、最低限の収入はあるので焦らないでいいのはありがたい。ただし、いつまでも無為に過ごしていることは先々のプラスにはならない。自分は今マイナスの行動をとっていることを自覚するべきだろう。
何かをすることは少なからずプラスにはなる。何かをすることは大切だ。
・ブログを始める
・何かを勉強する
・就職活動をする
・ウーバーイーツを始める
・留学をする
・遊ぶ
・新しい趣味を見つける
色々とやれることはあるわけで、何もしないということだけは恐らく悪手だ。その最悪の手を半年間も続けてしまっていることに自責の念は絶えないのだが、それは笑ってごまかしておこう。
じゃあどうするか?
ブログはどうだ?別に悪くはないぞ。今でも最低限の収入は得られている。今後もそれなりには可能性はあるんじゃないか?最近ではブログは稼げない、と言われ続けていることがとても嫌な気分にさせられる。これだからSNSは嫌だ。嫌なのはそういった言葉にすぐ惑わされてしまう自分のメンタルだろう。
勉強をするのもいい。しかし結局自分の年齢から何を勉強すればいいのやら。ビルメン になるために資格をとるとかは建設的でいいかもしれない。しかし俺の理想とする仕事ではないような気がする。俺には向いていなそうな職種だ。
ウーバーイーツをやる。これは精神安定につながる可能性はある。すり減りつつあるお金が精神を不安定にさせている一要素だと考えれば、これで一定の給料を稼ぐことができればそれだけで精神は少し持ち直せるかもしれない。しかし、そんなことをしている場合なのか?という疑問点はなくはない。ウーバーをメインに据える、その可能性は今のところはあまり考えてはいない以上、なんらかの条件付きではないとこれをやるのはあまり望ましくないかもしれない。
何かをすることが必ずプラスになるとわかっているのになかなか動くことができない。俺はあまりにも情けない人間であることがさらに実感できるような文章になってしまった。
ちょっと心が折れかけたのでここでいったん終了する。
落ち込まないようにすること
落ち込むということは仕方のないことだ。
誰だって気分が滅入ることがあるのは当然で、それは人間である以上は仕方のないことだ。
でも、落ち込んでいる自分をそのまま受け止めるかどうかは自分で判断するべきかもしれない。気持ちが沈み込んだまま何を考えても、それは主観的かつ悲観的な視点でしか物事を判断することができなくなってしまう。
それはあまり好ましくないことのように思える。それなら落ち込んだと感じた時は一度冷静になって客観的に考えるようにする、もしくはいったん思考を外に追いやる方が良さそうだ。
落ち込んだという事実は決して悪いことばかりではない。自分が落ち込んだり。傷つくということは、それは一種のサインだし、それを無視して行動し続けることは結果的に自分にとって悪い方向に進みかねない。
マイナスな感情は必ずしも悪いものではなく、受け止め方、次への行動次第ではポジティブなものになる感覚だろう。
人間に本来的に備わっている機能である以上、無駄と捉えるのではなく、その有用性を意識する方が僕らが人間である以上は効果的な使い方なのかもしれない。
結論
落ち込んだときは、一度客観的に判断できるまで、魔を置く。
落ち込むことは悪いことではない。それで気づく何かがあるかもしれない。
夜。飲みなれないネクターピーチを飲みながら。
何かを始める時に辛いのは
初動が一番辛い。
なんか自分なりにスイッチみたいなものがあるといい。
タイマーをセットするとか、何でもいいからルーティンを決めるべきだ。
ルーティンね。
その場しのぎで生きればいい。
今できることだけを考えればいい。
未来のことまで背追い込むことはない。いつか当時の俺を恨むことがあるかもしれない。あの時もっと真剣に取り組んでおけばと。でもそれは未来の俺が判断することだ。そして当時真剣に取り組んでいたのならば、それを責めることはないだろう。
俺にとってできることを一生懸命にやればいい。それで十分なのだ。
とりあえず勉強することはそれほどつまらないことではない。だから英語やブログについて勉強するつもりでやればいい。結果を求めるとダメになる。勉強したって意味ないんじゃないか、と思ってるから萎える。
勉強したいからする。それだけでいい。結果はついてこなかったりついてきたりする。勝手にしやがれ。
ALONE ~孤独のサバイバー~を見て
海外のサバイバル番組「ALONE ~孤独のサバイバー~」を見ている。
極限の自然の中で十人のサバイバル経験者が残り一人になるまでひたすらサバイバルをする番組で、最後の一人には50万ドルという大金が賞金として与えられる番組。
こういう番組はなかなか日本では見れないから非常に面白い。
過酷な自然の中で様々な手法で生き抜く姿、たった一人で生き抜く姿に強く惹きつけられる。
彼らたちのサバイバルを見ていて感じるのは、人間が一人、孤独でいることの過酷さと、ただ人間が、いや一つの生命が生きる、という行為がどのようなものかを教えてくれる。
その日の食糧が手に入るだけで深い感謝を感じながら生きる彼らの姿は、人間が生きる、命を繋ぐという行為がどういうものなのかを示唆している気がする。
ただ生きる。たったそれだけだ。
それだけのことが尊い。それだけのことをするために人は恐ろしく余計なことをしている気がしてくる。
現代人の生活はあまりにも彼らの原始的な生活とかけ離れている。しかし、本質的には同じなのかもしれない。あまりにも希薄になっているから気づかない 。人は食うために生き、日々あるがまま裸の自分で大きな自然の中で生きているに過ぎない。
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・ただ生きること。それだけでいい。