透明人間と戦うな。
過去と未来のことを心配したり、訪れてもいない可能性に心をすり減らしてばかりいる。
未来のことを心配することは大切だ。それは人間が生存するために与えられた本能的な感覚なんだろう。この先に危険がないか、それを判断できない人間には死がまっている。
心配することは決して悪いことではないけれど、人によってはそれがあまりにも過剰な場合がある。そう僕のように。
決してこの能力で損ばかりしているわけではない。失敗を極端に恐れるこの性格のおかげで僕は試験と呼ばれる類のもので基本的に失敗したことはない。合格率がかなり低い資格試験のようなものでも確実に成功してきた自覚もある。
でもその性質のせいで多くのものも失ってきた。行動しなければわからない、あるいは行動していれば道が拓けていた可能性を自分の性質で摘み取ってきたという自覚も多いにある。
あの時こう行動していれば自分の未来はもっと明るかっただろう。そう考えることは山ほどある。
考えすぎは返って身を滅ぼす。それは自戒の念を込めてここに記しておくべきだろう。
結局は行動が自分の人生の全てだ。もし仮に何か行動を起こして、それが失敗に繋がったとしても、そこから挽回すればいいだけの話だ。
未来のことや不確定要素に対して憂慮してばかりの自分はさながら、そこに存在しているかのような幻に対して常に警戒しているようなものだと感じている。
あくまで自分が思い描いている、あるいは遅れている未来は現実ではない。カイジのチャンが言っていたようにそれは幻でしかない。
なぜそのような未来があると感じてしまうのか?それは結局自分の心だ。
自分の心が未来を作っているんだ。未来は白紙だし、いつだって人生は途中だ。
別にいいじゃないか。仮に負けても。問題は動きもせずに負けることだろう。
勝たなきゃゴミかもしれないが
勝つために生きることに疑問は感じる。
しかし、俺はあまりにも負けすぎだ。何より自分に。自分の中に巣食う無力感や絶望にあまりにも自由にさせすぎている。それは無理もないことだ。彼らはあまりにも強大で相手にするには非常に骨の折れる相手だ。
だからこそ柔和に受け止めることも時に必要だし、決して勝とうとする必要があるわけではない。
しかし、ことこの瞬間においては。
勝つことを最重要視してもいいのかもしれない。
少なくても今の俺にとって必要なのは。
勝つこと。それ以外ないかもしれない。
負けるな。絶望に、無力感に苛まれるのはわかる。しかしそこで立ち向かう勇気が必要かしれない。勇気だ久信。
開催を呼びかけた「カイジ」の作者、福本伸行さんが色紙に繰り返しつづったのは《勝て!!!》。「『頑張れ』より勇気づけられる言葉だと思う。大変だけど、それぞれの人生で勝ってほしい」と話した。
将来について9
まぁ気楽にいこうぜ。
別にダメだったらその時考えればいい。あまり将来のことなんて考えないくらいでいい。
プラン1
まずは副業で月20万を稼げるようになる。
軌道に乗ったら英語を勉強し始める・留学する
帰国後、引越し、何か仕事を始める
月40万の収入を目指すとかでいいんじゃない。やりたい仕事を積極的にやってみるといい。そうすればやりたいことだけやって、やりたくなくなったらやめるくらいの気持ちでいれば余裕を持ってやれる。この仕事をやり続けないといけない、という心が自分を萎縮させる。いざとなればこれがあるしな、そういう安心感が全てをポジティブな方向へと変えていく。本業・副業・投資・彼女の収入で分散していければかなり安定した生活ができる。まずは副業で20万
プラン2
上のプランが失敗した場合。大人しく就職する。
これは通関士でいいんじゃない。過去のキャリアを活かしてそれを全力でやる。通関士なら嫌な職場だったら転職だって可能だしね。全力でやってみるさ。もう完全に諦める。
もう立ち直れないかもしれない
辛い。
何もしていないけれど人生が辛い。
これから起きることに何にもポジティブなことが起きないようなきがしてくるから。
もちろんそんなことは一切ない。
楽しいことはこれからもある。それは間違いがない。
いい友人・恋人・いい音楽・いい作品にこれからも出会える。それだけで人生はそれなりに悪くないものだ。まずはその事実は前提にある。俺は恵まれていることに気づこう。まずはあるものに感謝をしよう。そこから物事を考えていこう。
あとはお金を得る算段だけつけばいい。たったそれだけのことが俺をこれほどまでに心を侵していく。本当に何なんだろう。